存在の場所
地球上であったり、影像や書物の中であったり。はたまた人の心の中であったり。人はあらゆる場所に存在し得る。そして息づく。
10年前に他界した祖父に会いたいと最近とみに思う。もっと話しかけ、もっと対話して、記憶に残るような場面を沢山作っておけば良かったなあと。
祖父が健在していた時、そのような思いにはならなかった。居ないからそう思うのか、あるいは、そう思った頃には召されてしまっているという自然法則的なものなのか。
後者であれば、いかにせん。会うことは出来ずとも今こうして静かに偲んでいる。記憶を辿り、思い出す切り取りのような光景が音声と共に脳裏によみがえらせて。
何となく言葉を発してみる。それがそのまま祖父に伝わっているような感覚になる。そういう法則なのか。
実際のところはわからない。
しかし、実際をどこまでわかっているのかも定かではない。確かと不確かの分け目は滲んでいる。不明瞭に溶け合う万象。理解し得るものだけを摘まんで勝手に認識・確定して「実際」を成り立たせている。個は全てそうやっている。個と個の境界を往き来する。そのやり取りの外に亡き祖父母等はいる。